宇宙の鳴る音、宇宙の無限性

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日月神示を考察する【第一巻編】第19帖の考察

日月神示はよく山のことが出てくる。

富士山を指してると思うんやけど第19帖も山の話題から入ってたので考えました。

 

神の国の山に祭りて呉れよ、祭るとは神にまつらふことぞ。
土にまつらふことぞ。
人にまつらふことぞ。
祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ。
祭るには先づ掃除せねばならんぞ。
掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ。
神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。

 

神の国の山に祭りて呉れよ、祭るとは神にまつらふことぞ。

祭りの原点とは神様を思い神事することなんだと再認識しました。

今の日本では祭りは縁日が出て楽しくがやがやとやるようなものを指したりしますが大抵もともとになっているのは神社の神様を崇めるものが多いと思います。

日本人は無意識のうちのこの文化が生まれたときからあり

あまり考えてこなかったのですがおそらくそれは戦後の日本からの話しで実際昔の日本人はもっと神様に近かったのだと思います。

いくら初めから神的な素養があってもそれに気づくような多少の教育や伝来は必要だと思います。

土にまつらふことぞ。人にまつらふことぞ。

意味は深くは理解できませんが感じるのは大地から人から一緒に「まつらう」という行為をやることで神を感じることができるのだろうなと直感的な思うことができる言葉です。イメージできたのは人間が集まり神を思いながら楽しく土の上でがやがやするのがイメージできました。楽しくすることで神も感じやすくなるのだろうと思いました。

 

祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ。祭るには先づ掃除せねばならんぞ。

祭りがおこなわれるということは世の中も必然的に活況であることが前提だと思います。それを考えると祭り、祭りでみんながハッピーな気持ちになるということを表しているのは字の通りですね。あとにくる掃除せねばならんぞ。

日月神示は時折「掃除」という言葉が頻繁に使われます。
この意味について思うことは邪念、排除されるべきものが存在しているということ。何かたくらみのあるものが排除されるイメージがあります。

ここはあくまで伝わりにくい部分ですが人を出し抜いたりすることを平気にやってしまうような行為や考えの方は掃除されるのかもしれませんね。宇宙はあくまで調和、循環が法則になっていると思います。それを独占したりするような考え方はいけませんね。

 

掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ。

さっきの解釈につながる箇所でもあるのですがここの表現では掃除すればだれでも神かかるようにというのが、やはり邪念や循環、調和を邪魔する要素を排することが神と近づく一つのトリガーになっているんだろうなと思います。

日本の臣民も良く出る表現ですが日本人はやはり少し特別なんだろうなと感じます。

今の日本人ではなく過去の神事をきちんと作法も込めてできた時代の日本人を指すと私は考えており、ただ日本人だからみんなが臣民というわけではなく心の在り方で日本人は一番その神への気持ちを理解しやすい人民なんだと考えています。

※第六感であったり外人に比べて感じやすいのは直感的にわかります。

 

神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。

ここもやはり心の在り方につながってくると思っています。
日本人がとかではなく掃除、すなわち心から神に近づける状態で構えておける日常的な行いや考え方ができることを掃除できれいになったと表現しているのではと思います?

とても大事だと思います。