日月神示を考察する【第一巻編】
ブログをはじめました。
書くのは苦手なので手短に思ったことを書いていくスタイルです。
※日月神示の原文みたいになるかもしれません(笑
私は昔からSFとか映画が大好きで宇宙人は信じてます。
こんなだだっ広い宇宙にいない方がおかしいしと思ってます。
なので日月神示と出会うまでには色んな書籍やYouTubeなどを経て出会いました。
うちの親もこの手の書物や予言書、聖書の分析なんかが好きで昔は全く興味がなかったのですが自分が主体的に見るようになってから面白くてたまらなくなりました。
多分ですがこの手の話しを信じられる人とそうでない人の差はいろいろな段階を経ると思います。日本神話の考察や世界全体の古代神話。聖書や科学者たちの面白い考察。
最近では導かれるように量子力学への興味も出てきました。
私が思うにすべてはつながっており、あれはあれ、これはこれではないというのが持論です。むしろすべてがヒントであり答えである可能性もあり、ある情報とある情報が重なることでまた答えになったり…
最終的には到達するのはすべての出来事をなんのフィルターもなく見れること。
そして唯物論だけでは収まらないこの宇宙の真理みたいなものがふっと自分の目の前に現れるんじゃないかと思ったりしています。
その一環として自分が感じたことをブログに残しておいて記憶していこうと思い始めました。考察といっても自分の探求の一助でやろうと思っているので文章は乱文です。
思ったまま書いていこうと思います。
それではまずは1巻編として自分なりに今の時世やらタイミングを見て気になったものを抜粋して考察書いていくとします。
神が来るぞ、それに備えろと言う言葉が繰り返し繰り返し書かれている。もし神が現れる(表現がチープになってしまうが…)時、自分たちがにわかに信じることができるかというか?という問いかけと思われる。
— アダム@最初の人 (@Pq1JmwldbNT229p) 2022年11月9日
もし、出現しそれを認めなければ存在しないと一緒だから。これは深い。#日月神示
上記は私がやってるTwitterで掲載した第十五帖の記載になります。
難解な文章ではありますがそれぞれに意味はあると思います。
抜粋して見ていきます。
度は末代動かぬ世にするのだから、今までのような宗教や教えの集いにしてはならんぞ。人を集めるばかりが能ではないぞ。人も集めねばならず、難しい教えぞ。
ここで感じたのは今までは違うものがやってくるという意味が最初に書いてありますね。末代動かぬ世にするというのは今までは何かしらのものが移ろいながら世の中が進んできたけど今度到来するものは今までのものとは違うということが書かれていると感じます。
そして「宗教や教えの集いにしてはならん」ここにも結局今人間が信じているものを否定されているような内容になっています。これはわたしも心当たりがあります、現代の宗教というのはほぼ利益、利得、人間の上下を作った上で成り立っている宗教がすべてであり。釈迦やキリストが説いたという内容に重きをおいて本質的な悟り、または悟りの先にある境地、真理のような類は結局二の次になっているように思います。
ある意味私は宗教ごっこと思っています。
だからこそ、そういった教えや宗教に群がる人は集める必要はないと言っていると解釈します。ただその後に人は集めないとと言っています。
それは一人が何かを気づき悟った時に他の周りの人間に対して広げる必要性を説いていると思いました。
⇒これは教えるというのではなく伝播させるという表現の方がいいかもしれません。教えるということで上下のような関係が築かれるのも少し違う気がします。
これだけのことを人に思い伝えるプロセスは確かに難しいと思います。
縁ある人は早く集めてくれよ。縁なき人、いくら集めても何もならんぞ。縁ある人を見分けてくれよ。顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ。顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。
そして繋がる次の文ですが、縁ある人は「気づいた人」などに置き換えてもいいと思います。縁なき人というのは無理にその境地を説いたところでおそらくわかないし少しおかしい人ではと思われてしまうためこれはなんとなくわかります。
顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ。顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。
ここは深いのですが今後は日本人だけが中心だけではなく心で気づく人たちが日本に集ってくるのではないかと思っています。
外国人の顔していると言っているのは別に海外の方だから日本に由来がないといういうわけではなく、過去縄文人が大洪水、火山噴火により世界中に避難したということは否定できるわけでもなく、その人たちの祖先には縄文人のDNAがあると言ってもいいのではと思っています。
※ここで急に縄文人の話しをしましたが動画はまたおって添付します。
やりかけた戦ぞ。とことんまで行かねば収まらん。臣民一度はなくなるところまでになるぞ。今のうちにこの道よく読んでいてくれよ。九月になったら用意してくれよ。
何でしょう今読むから思うのですがこれは得てしてコロナのワクチンを打つか打たないかの話ししか私の頭には浮かびませんでした。
これは打たせたい側とそうでない側がいるというある意味の戦いであり。
とことんまでいかねば収まらないというのは正にいまの日本の状態ではないでしょうか?このあとにも出てくるのですが今回は「とことん」までいくということが強調されていると思います。
誰かが書いたブログにも載っていましたが日月神示はその人がその時に読んだ時代、タイミングに導かれて解釈が変わるということが書かれていました。
それも納得がいきます。
なぜなら宇宙は常に循環し同じようで少し違うらせん状の道をループのように回っているのではないかと思っています。
これは誰が決めるでもなく宇宙が無限大になせるパワーのおかげだと思います。
まだまだ、読み始めたところですが日月神示内容は面白いです。
私にはこれからの自分がどのように構えどのように世界を感じるかの手引きになるような語り草に聞こえました。
以下は本編とは関係ないですが「TOLANDVLOG」さんの動画です。
考察が非常に面白く解説も笑わせてくれながら進めてくれるのですごくスキです。
おすすめです。正統竹内文書に今は注目してます。